10年と8ヶ月 創業から1年目のこと

今から19年前。
21歳を迎える前に美容室に入社し22歳を迎える少し前に美容師を辞めた。
若かった僕はとても大きな夢を抱いて毎日深夜まで頑張って練習していたのにもかかわらず。
原因は手荒れ。
箸も使えないほど手は荒れ、当時寮生活をしていた僕は親指の付け根の所にホークを挟み茶碗に入った白飯にふりかけや卵をかけて食べていたくらい。
とても悔しかった。
シャンプーすらできず普段シャンプーをすることがない社長が僕の代わりにシャンプーをしてくれていたあの後ろ姿は今でも鮮明に憶えている。

大学病院を2つ回り検査をしたが僕の手は美容師ができる状態ではないとの診断が両病院から出て膝から崩れ落ちた。
社長も僕の手を見てしょうがないと退社を認めてくれた。

高校野球が終わり、大学に行きたくない受験勉強も嫌出し、幼馴染の床屋の息子にくっ付いてなんとなく専門学校に入って、もちろん夢もクソもなくだた遊びの時間が楽しくて仕方なかった学生時代だった。
でも美容室に入社し大きな背中の社長と先輩たちを見て感じて美容に引き込まれ新たな目標、夢を見つけた時は本当にワクワクした。

なので美容師を辞めた後の僕の生活はひどく荒れた。

時給が高いということで地元の伊藤ハムで深夜工場の掃除。
掃除のバイトが終わってそのまま海へサーフィン。
寝る時間は友人と交代で海まで運転していたので行きか帰りのどちらかで睡眠を取る。
約2〜3時間。
そんな毎日を1年過ごしていた。
ホントどうしょもない生活をしていたと思う。

美容を辞めてそんな生活をしているという噂を聞いた勤めていた美容室の社長から紹介されて僕は美容ディーラーに就職した。
23歳を迎える前だった。
美容ディーラーの仕事は美容室にシャンプー剤やカラー剤など美容室で使用するものを販売する会社でかといって物だけ売っていてもそんな会社は山ほどあって物なんてどこでも同じもの扱ってるからそれだけなら当然安い方から美容室は仕入れたい。
なので美容室から選ばれるためには条件ももちろんだが関係性、情報量とその質が問われるという20代そこそこの僕にはとても刺激的で負けず嫌いの僕はものすごく勉強、トライ&エラーを繰り返し少しづつだけど営業マンとしての成長を楽しめるようになっていった。
大卒ばかりの同期の中で新人賞みたいなのをもらった気がする。

生意気でお客さんと平気でケンカしちゃう僕は母親からもらったコミニケーションDNAのお陰でお客さんとの関係は悪いもんではなく、むしろ「こんなに言ってくれる営業マンは初めてだ」とお取引サロンの社長さんたちに可愛がられ、よく飲みに連れて行ってもらえる関係になっていった。

物売りから提案型営業マンへ変貌を遂げ、というとかっこいいがお客さんに提案してその企画でお客さんの売り上げが上がったり、それで社長さんたちが喜んでくれたり、スタッフのモチベーションが高まったりしていくことが楽しくて楽しくて美容師を止めた悔しさはいつの日か忘れていた。

25歳の時。
ふと美容師の頃に描いていた夢を思い出した。

「美容室経営」

お客さんのお店をプランニングできるってことは美容師じゃなくても美容師さえいれば自分の会社作れんじゃね?
よし!!夢は日付だ!!日付決めてやっちゃおう!!
自分の30歳の誕生日に自分の会社を創ろう!!!

よっしゃーーー!!!

僕は水を得た魚のように勉強しまくった。
そして夢をたくさん口にして仲間に熱苦しく語ること5年。
夢を言葉にしていたお陰で僕と一緒にやりたいという男3人が集まり
宣言通り僕の30歳の誕生日(正確には1日前)に新松戸というとこのにCONKSを立ち上げることができたのです。

運が良かった。
お客さんが店を閉めるから居抜きで売りたいと相談され、お客さんにも自分の店をいつか持ちたいと話していたこともあり「松島、うちの店買ってよ!」
2階の店舗だったがウッド調で壁は漆喰のおしゃれなサロンだったので僕はそこを買い取ってサロン経営を始めたんだけど営業マンも続けながらのサロン経営。

当然、サラリーマンですから2つからの収入はNG
親父の名前だけを借りて(借り入れ保証人もお世話になりました)いきなり法人スタート(もちろん僕も親父も給料0)

理由は当時、ほとんどのサロンが社会保険など社員を守る仕組みがほとんどなく、ちゃんとしたサロン、会社にしたいと気合いで2年の消費税免除を捨てて法人スタートを切ったのです。

結局全員ちゃんと社会保険加入したのは昨年の6月・・・
今思えばなんてもったいないことをしたのかと思うけどそれだけ当時は自信もあった。
だから働くスタッフには元いたサロンのお客さんを連れてくるのは禁止した。
お世話になった会社の社長やそこで働くスタッフたちが困るようなこと、ずるいことをする人間であってはならない。
美容業界はスタッフもお客さんも引き抜くという常識は美容ディーラーの営業マンとしてもたくさん見てきたし、その先に円満退社なんてほとんどなかったのもよく知っていたからだ。

お客さん0でスタートし確かオープンした最初の月の売り上げは50万くらいだった。

持っていた車を売払い、借り入れから出店費用を引いて余ったお金も合わせると400万円の運転資金を持っていたから余裕ブッこいていたがサロン経営はそんな甘くなかった。

運転資金はみるみるなくなりオープンして5ヶ月を経過した時、手元には100万円しか残っていなかった。
自信満々で始めたのに手を挙げ僕と一緒にやると言ってオープニングから共にしていたスタッフに対して僕は自信のある言葉なんてかけられるはずもなく、残っている100万円もそのうちすぐに無くなるだろうと予感した。
巻き込むことはできない。
僕は3人のスタッフに正直に現状の話をし、念のため次のサロンを探すように促したのがオープンから5ヶ月後の2007年11月(実はこの頃この3人のスタッフは事の重大さに気が付かず暇な時は店の中で宝探しゲームとかしてたみたいですが笑)

その3ヶ月後の翌年2008年2月には売り上げが上がってきて利益が少しずつと出るようになってきた。

これはイケる!!(その時の通帳残金28000円だったかな笑)

共に頑張ってくれている3人にも覇気が出てきてみるみる業績は上がっていったのです。

調子に乗ってこの3人と僕は経費をふんだんに使い1年飲みまくり笑

それでも利益はしっかり残り2009年4月には2店舗目をオープンすることになったのです。

続く・・・

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松島 亘

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