3月のお休み⭐️
2020/2/9
SUNNY'S by CONKSブログ
【02.10】
この日は僕にとって365日ある1年の中で1番大切な日なんです。
今から8年前の今日
2012.02.10
僕は今の奥さんと入籍
さらにはその10年前の今日
2002.02.10
その奥さんと出会い付き合いだしました
出会ってから今日までの18年間。
現在36歳
人生の半分を彼女と共に過ごしてきました
付き合いだした頃の僕は美容学生
高校時代の校則というものに縛られた毎日から解放されたのか
日があれば専門の仲間と合コンをし
多額の借金をして学校を休んでまでパチスロに明け暮れ
暇さえあれば日焼けサロンへ通う
卒業できるかできないかの出席日数
アルバイトは代々木の居酒屋の厨房と
新宿歌舞伎町でのカラオケ屋さんのキャッチのかけもち
バイトという立場でやりたい放題
18:00〜21:00まで夜間の学校に通い
22:00〜5:00まで深夜のアルバイト
朝に家に帰ってきて夕方まで寝て学校に行くという昼夜逆転の生活をしていた僕
かたや、昼間の学校に通い夕方から夜まで
アルバイトをして23時台には寝るという健康的な生活をしていた彼女
当時の僕は本気でお金があればなんでもできるし、
幸せになれると思ってた
どんな仕事でもとにかくお金がより稼げるなら警察に捕まらなければなんでもやるよ!とまで思ってた
彼女には『ちまちまコンビニで働いてないで、キャバクラで働けば給料もいいから楽しく毎日やりたいように過ごせるからせっかくスカウトされたんだから働きなよ!』と語った事もあった
一人暮らしを始め彼女の知らない所では女の子とカラオケに行ってケツメイシを歌っていた事もあったとか
(今思えば浮気って事なんだね)
普通に考えたらこんなクソみたいな僕なんかとはさっさと別れて別の人と楽しく過ごせるはず
ある時、彼女は友人から
『本当にこの人と付き合ってていいの!?』
と聞かれた事があったという
そしたら
『あの人はなんか心配な事も多いけど、なんかわからないけど信用はできる気がする』
と言ったそう
これは彼女の友人から聞いた話
『絶対に幸せにしないと私がマサキをぶち殺すからね!』
とまで言われたっけ。
その時僕が思った事は、
親以外にこんなに自分の事を信用してくれる人なんかそうそういない!
そう思い全ての堕落した生活、マインドから足を洗おうと決意し美容師への道を決断しました。
すぐには変われなかったけど。
(美容学校に通いながらも給料安いし休みも少ないから美容師にはならないと当時の担任の先生にも言ってたな)
美容師になってからは毎日朝早くから夜遅くまで働きだした
お店の営業が終われば先輩との食事、飲みについて行く
一人暮らしだったからこそ時間は気にせず全てを美容師に捧げてたかも
カラーモデルを探すため手作り名刺を作り通勤電車の中で乗車中の女性に片っ端から声をかけたりもした
そりゃ、気持ち悪がる人もたくさんいた
でもそんなの気にならないくらいのめり込んだ
そしてそのおかげなのか、本当にありがたい事にたくさんの素敵な人達に出会う事ができたくさんの支えを頂いた
自分のクソな甘っちょろいマインドをがっつり愛情をもって叱ってくれる恩師にもなる店長にも出会った
全ての人達がとても僕に良くしてくれた
美容師3年目の頃、母親が緑内障になったと連絡が来た。
当時の僕は情報量も全く少ないのですぐに目が見えなくなると思った。
兄貴と相談した結果、目が見えるうちにそばにいてあげたいよね。という事で地元の茨城県の実家へ戻ることになった
地元で美容師を続けるよりも、人が多く集まる電車で30分の千葉県の柏で美容師を続けた方がたくさんの経験ができるという考えから今働く柏で働く事となった
その時も信頼できる友人の縁から美容室を紹介してもらったんだ
その会社には10年間在籍
そこでは一生涯の出会いがあり、
美容師としての本当に大切な事・美容師の楽しさをたくさんの方々から学んだ
たくさんの知識と経験と自信を身につけさせて頂いた
そして2017.06.01
10年在籍した会社を退社し
コンクスグループに入社した
美容師人生で最高記録の数字結果を打ち出す事ができ、
何よりも今までの美容師人生では学べてなかった事・体験できなかった事が2年半足らずの間でたくさん経験でき成長させてもらってる
それは現在進行形で
本当に感謝な人生を日々送れてる
あっという間に過ぎた18年という年月
そこにはいつも側に奥さんがいてくれて
ポンコツな僕の事を見捨てずにいてくれた
言葉では簡単に言い表せられないくらいの感謝でしかない
これまで嫌な想い、辛い想いをたくさんさせてきてしまった
これからと少なからずそんな想いをさせてしまう事もあるだろう
先に謝っておきます。
ごめんなさい🙏🏼
今は縁あって同じ会社で働いてる
毎日毎日本当に頑張ってる
初めてやる仕事内容で何を何から手をつけたらいいかわからない中、
必死に考えてやってる
現場には上司、先輩もいないからアドバイス、相談もなかなかすぐにはできない
ちゃんとやらなきゃ。
期待に応えなきゃ。
結果を出さなきゃ。
という想いが人一倍強いがために、誰にも弱音を吐けずに
もがき苦しんでる。
側で見ていてアドバイスは出来たとしても
直接なにかしてあげられない事が心が痛い。
話を聞いてあげる事しかできない。
結局やるのは現場のみんな。
やれば結果が変わるかもだし、やらなければ何も変わらない。
残念ながらそこをまとめる責任者の力不足という判断になってしまう。
それは役職者である以上の運命。
でもこの辛さは必ず長い人生の中で貴重な経験になって
後で良い思い出話になる事だと確信している。
こんなにも頑張ってる彼女の事は必ず幸せに豊かにしてあげたいし
何よりも毎日笑顔でいてもらいたい
今は当時のクソな僕には考えられないくらいお金なんかよりも大切にしているものが本当にたくさんできた
だから僕は少しでも前に進む為に頑張り続ける事ができる
最後に、
年に一度だけだけど02.10の今日は日頃の感謝を言葉にしたいと思います。
『いつも本当にありがとう
爺ちゃん婆ちゃんになっても
ずっと仲良くして下さい
心と体も健康に暮らしましょう』