今日は父の日ですね。
今では優しいけど昔はだいぶ怖かった親父。
今はこんな感じやで(^_-)
ガキの時、まさか肩を組める日が来るなんて思わなかった笑
なかなかの無口なんだけど厳しい父でした。
小学校の野球チームでキャプテンだった僕
親父はコーチ。
具体的なのは忘れたけどキャプテンだった僕が何かのミスをした時にみんなの前でぶん投げられた。
親父とキャッチボールしてて暴投した時には自分で取りに行かされた。しかもダッシュ!!って。
冬に雪の降る日。
悪いことをした時は庭に積もる雪の中にぶん投げられた。
いつも悪いことしてるときは親父の目を気にしながらやっていたし、オカンも「お父さんに言うよ!」ってのが口癖でした。
クリスマスだったかな。
「ラジコン買って!」と直接会えず手紙にしてオカンに渡してもらい、こっそり親父の反応を陰から見てた時に静かにオカンに頷いてくれて陰でガッツポーズしたのを今でも憶えている。
そんなこんなで時は過ぎ、今だから言えるが18歳で生意気にも友人たちとお酒を飲み地元のセブンイレブンに入った時のことです。
当時、東幹久がやっていたCM
「芸能人は歯が命」という話は本当なのかどうなのか酔っ払いながら友人と話していたのもあって僕はセブンイレブンでアパガードを万引きしてしまったのです。
地元ですし、よく行くセブンイレブンですから元から目を付けられていたのもあって監視カメラでしっかり見られていたのです。
ポッケにアパガードを入れた瞬間にセブンイレブンの店主に取り押さえられ裏の事務所に連れていかれて母親も呼ばれました。
当然です。
警察を呼ばれず厳重注意で終わりましたが警察よりも親父だけは呼ばないでくれとセブンイレブンの店主に懇願していました。
そのくらい親父が怖かったが
時は過ぎてオカンに聞いた話がありまして
実はオカンがどうやら親父に僕がアパガードを万引きした話をしたらしいのです。
そしたら親父がお詫びの菓子寄りを買ってセブンイレブンに1人で謝りに行ったとの話をオカンから聞いたとき号泣しました。嗚咽するくらいに。
だってあの厳しい親父はアパガードを万引きしたのを知ってるのに僕に何にも言わないどころか、怒りもしなかったし、ましてや謝りに行ったことすら言いませんでした。
そー言えば、この事について親父と話した事なかったから近いうちに酒でも飲みながら真相を聞いてみたい。
さらに数年後、親父はある病気で1年くらい意識不明になります。
体中管だらけ。
自分で呼吸できないから機械に呼吸させられてました。
担当医は日本サッカー代表 酒井宏樹くんのお父さん。
酒井先生には「生存率5%」と言われたみたい。
けども復活を遂げました。
マジで地獄のようなリハビリを続け、今では大好きな野球の審判までできるほどの努力家です。
その数年後、僕は結婚するんだけど何か忘れたが親父と仲悪くてね。
結婚式に出ねー!!って言われたのでそれは嫁のご家族に申し訳ないと思い謝りたくない気持ちをグッと堪えて謝ったときに親父が僕に差し出してきた物。
これです。
夏じゃなくてホントは冬だけど(笑)
僕が高校球児の時に柏のスーパーで部費を稼ぐために人生で初めて働いて得たお金を両親に3000円ずつ渡したそのお金を綺麗に額縁に入れて渡してくれたのです。
お分かりだと思いますがこの時ほど泣いた時は憶えていません。
この3000円の意味。
言葉では説明できないけどお金に対しての考え方が一気に変わった瞬間でもありました。
これがあったのとないのとでは経営の仕方もだいぶ違ったと思います。
だからいつもこの額縁は事務所のPCの横に置いてあるのです。
親父は朝は早く夜も遅く、家ではほとんど会わないサラリーマン生活を就職した会社一本でずっとやってきた筋深い親父なのですが部下思いで部下のために上司と喧嘩するほど実は熱かったみたいなのです。
ちょいと真面目に長く書いてしまいましたが結局僕は親父の背中を見て生きているというか憧れているというか。
強さも弱さも優しさも厳しさも男らしさも全て親父を見てきたんだと。
だから僕も親父になることがあったら親父みたいにカッケー背中を見せたいなと思うわけです。
今日、父の日に事務所で仕事してて思ったことは概ねそんなことです。
マジで親に感謝やね。
有難う
親父。
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